救いたかった人

今日はとうとう、5回目のセッションについて書きたいと思います。

このことはまだ私を苦しい気持ちにさせるし、その出来事の付近には

小さな傷が散らばっていて、完全になくなるまでは

まだ時間がかかる感じもしています。

あやさんの半年のセッションが終わった後も少しずつ変化して

少しずつ、見えてきています。

 

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3回目のセッションあたりから見えてきたことは

「私は母を救いたい、と願っている」ということ。

なのに母は全然生きるのが楽になっていなくて

私はそのことに怒りを感じていました。

3回目のセッションのあたりはそのイライラがとても続いていて

些細なことで母と言い合っていました。

 

セッションで知った

「誰かを救いたい、と願っているときは自分が一番救われたい。」

誰を、救いたいの?その問いから5回目は始まりました。

 

心に聞くと、もうずっと、知ってたんだけどね。

8歳くらいの私。

 

寝る前に一人で泣いている私。

 

どうして泣いているのかも知っているし

そのあと眠れないこともわかってる。

その私をずっと、ずっと救いたかったんだ。

 

8歳のときに起きた出来事を

私はずっと、許せなかった。

誰かに話すこともできなくて、一人で抱えていると

夢にも出てきてしまう。

泣いて目が覚めることをばれないように。

私の罪がばれませんように、と願っていました。

隠すことって、とても罪の意識を高める気がします。

 

私は神様の存在を信じていた分、こんな私は救われないとも強く思っていて。

みんなは死んだら天国に行けるけど、私は行けないっておびえていました。

 

 

人生で起きる、私がどうしてもクリアできない出来事はすべて

ここにつながっているようでした。

そのことを、初めてあやさんに話してみました。

 

5回目のセッションはあやさんが借りているサロンだったので

人目がなかった分、このことを話せたのだと思います。

 

当時のことを思い出すのは辛すぎたのですが

あやさんがボディワークをしてくれたので

少しリラックスしながら横になりました。

ゆっくり、話をして

辛い気持ち、悲しい気持ちを全部感じました。

ずっと泣いていました。

泣き続けながら、あやさんの質問に答えていくと・・・。

 

私はこれまで、ものすごい罪の意識で生きてきたことがわかりました。

その出来事から後の人生は、その罪を償うためのように生きていました。

幸せになることが許されていないように感じていました。

 

でも、許してもらえる。

そのことは、私が生きるための手段だった。

私はそうしなければ、死んでしまっていたのかもしれない。

ということが

セッションの中で出てきました。

 

・自分が幸せを避けていたこと

・死なないために、その選択をしたこと

 

今まで全く思いもしなかった意識なので驚きました。

 

そして

幸せに生きてもいんだよ。幸せに生きてね。

というメッセージをもらいました。

 

私は8歳のあの自分に会ったら、そう伝えてあげたいです。

あなたのせいじゃないよ、ってことも一緒に。

 

私はずっと、母にもっと私の気持ちを見てもらいたかった。

でも母は自分の人生で精一杯で、私がどんな気持ちで生きているのか見る余裕はなかったので

まず母を楽にしたら、私のことも大切にしてくれるかな、と

小さな私は考えたのだと思います。

その癖はだいぶ染みついていて、今も自分以外の誰かの気持ちを優先した後に

自分の気持ち、となりがちです。

 

なぜ周りの大人は気づかないのかなぁとも思っていました。

8歳の時の学校の担任も、母によく似た人で。

「ああ、この人も自分のことで精一杯だから

自分の心が楽になるために、生徒を叱っているなぁ」と

私には見えていました。

 

周りの大人に、自分の心は自分でどうにかしてほしい、と願ってました。

 

それは私が精一杯で、大人に助けてもらいたかったんですよね。

 

大人になった私は、一番に自分のことを大切にしてあげたいなぁ。

そして小さな子供の表情や心に、気づける人になりたいなぁ。

 

今回はとっても重い感じなのですが

この話ができたサロンで、あやさんが第2回目のカフェタイムを開催しますよ~。
奇麗でほっとする場所。

 

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