4回目のセッション

このブログは友人であり、優れたコーチである
「中村あや」さんと私のセッションを中心に
書いています。
あやさんのホームページ
http://unparalleled-view.com/

 

なかなか書き進めません…。

でももう、6回全てのセッションが終了したので

記憶が古くならないうちに書きたいと思います。

 

4回めのセッションは

漠然とした不安でした。

 

実はここ数日、同じ気持ちに陥っていて

また同じことをしてました。

 

何回も同じことをしながらでも

だんだん回数が減ってきて

立ち直りが早くなってきたんじゃないかなぁと思います。

その大きなポイントは最終セッションの記事で書きますね〜。

 

 

4回目のセッションのときは

細かな不安がたくさんあって

何を聞きたいのか、良い質問も浮かばない感じでした。

 

自分のエネルギーがすごく下がっているのはわかっていました。

 

あやさんは

そんな漠然とした感じの私でも

ちょうど良いタイミングで

良いアドバイスをくれました。

 

「そのモヤモヤは、成長してるからだよー!」

「できない自分を受けいれる、ことと、行動をセットにすると良いよね。」

 

私はやりたいこと、やらなくちゃいけないことはたくさんあったのですが

動かなくなってました。

 

どうして動けないのか

・動けないほどの傷がある

・動けない自分を責めている

 

動けないほどの傷は癒していく必要がありますが

動けなくなるよう、何か自分を責めていることもわかりました。

 

とても、些細なことです。

朝、起きる時間がいつもより30分遅れると

やらなきゃいけないことに追われてしまって

寝坊した自分を責めていました。

 

朝からもう、最悪なスタートです。

寝坊したことは取り返せないけど

その自分を責めても

行動は早くならない。

むしろ、遅くなってしまう。

 

今日は寒かったもんね〜

昨日、寝るの遅かったものね〜

でも、もっと早く起きたかったってすごく願ってる自分素敵だね〜

 

みたいな声かけが必要なんだと。

 

昔、友人に言われました。

とっても甘やかす母親が声をかけるように

自分に声をかけたいよね、と。

 

褒めたり、労ったり、愛情いっぱいでハグしてくれたり

心も体も喜ぶご飯を作ってくれたり。

 

その行為を、自分で自分にしてみようって。

 

今日はこの時のセッションから2ヶ月経ってますが

やっぱり気づくとまだこうやって

自分を大切にすること忘れてしまいます。

 

少しずつ、習慣化したいなぁ。

そうそう!

習慣化で思い出したけど

あやさんは習慣化のための手帳術のコミュニティを作っています。

 

このコミュニティに関わる出来事が最終セッションで起こるのでまた書きます。

お楽しみに!

 

 

最後に

あやさんが伝えてくれた言葉

「自分の人生に集中する。人と比べてたらもったいない!」

「一番自分をないがしろにしてるのは自分。

もっと自分を大切にしよう!」

 

 

 

 

見えてきたこと

 

久しぶりのブログになりました。

 

 

今日は水曜日。明後日の金曜日には

あやさんとの最終セッションです。

 

このブログは友人であり、優れたコーチである
「中村あや」さんと私のセッションを中心に
書いています。
あやさんのホームページ
http://unparalleled-view.com/

 

寂しい気持ちと、半年間で得たものをちゃんとより深く認識していきたいという気持ち。

 

まずは3回目と4回目のセッションのまとめを書きます。

 

5回めのセッションでは人生でずっと苦しかったこと

誰にも言えなかったことが癒されて

どんなカウンセリングや病院でも話せなかったことが手放せる経験をしました。

 

今思い返すと

3回め、4回めはその5回めのための心の動きでした。

 

3回めのセッションでは

・朝、夜、目がさめる時、眠りに入るときに

セッションで見つけたひまわりの自分につながる、感じてみる

 

これは日常の自分が本当の願いにつながりやすくなる。

世界は自分が作っていることを感じやすくなる。

 

・誰かを救いたい、と願っているときは

自分が一番救われたい。

 

私は何を、救ってもらいたいんだろう。

どのときの、自分なんだろう。

 

・とても大嫌いな人がいる。

自分の世界に居てほしくない、と強く願う嫌いな人がいて

その人をずっと排除したかった。

 

3回めはこんな感じ。

とても大嫌いな人について、今回は書きます。

 

私はその人を思うと、いつも私を守って助けてくれる他の人も嫌いになりそうな

人って大嫌いだ!という苦しい気持ち、

私はひとりぼっちだ!という寂しさで

いっぱいになってました。

 

どうしたらその人に関わらなくてすむのか

そんなことをあやさんに相談しました。

 

そこで見えてきたのは

その相手がとても傷を抱えていること

その人を排除することは

私の望んでいる世界ではないこと。

 

その人が、その人自身を自分で大切にできて

私と関わるときも

痛みや傷で、私の注意を惹こうとするのではなく

あたたかい気持ちから関わってほしいこと。

 

その人への願いは、自分への願いでもあって。

私は私をもっと大切にしていい。

もっと認めてあげていいよ、て。

 

私が自分を生きていたら

きっと周りもそうなっていくんじゃないかって。

 

 

そしたらね、なぜかその人と会っても

嫌じゃなくなった。

あんなに苦しくて黒い感情だったのに。

 

その人の私への嫌がらせが可愛く思えるように(笑)

なぁ〜んだ、愛情ほしいんだなぁと。

 

そしたらもうひと段階、自分の中が見えるようになって。

その人から引き出された怒りや寂しさって

私の中にずっとあって

その私を、私は救いたかったんだ。

 

4回めのセッションに続きます。

 

癒される

前回の記事を書いてから

すごく癒される体験がありました。

 

自分が人と違う状態になってしまったことを言葉にできたこと

「そのおかげで生き物がより好きになった」と

 

自然に、

自分にとって人生をより豊かにしてくれてるのかも…と思えたからかなぁ。

 

そういうとき

「まだまだギフトがあるよ〜」と

誰かがプレゼントを届けてくれたようです。

 

 

 

私は9歳でその症状が出てから

今までたくさんの人に会ってきました。

仕方なく、のときや

話さなくちゃいけない状況

この人に話してみよう、

とカミングアウトしてきました。

 

なるべく、重くならないよう、もうなんとも思ってないように、装いながら。

 

そのおかげか、特に変に気を使われ過ぎもしないし、過保護に扱われすぎもしなく

大人になりました。

 

けれど、小さいときにたくさん浴びせられた言葉って

体が覚えているようで、きゅーと苦しくなることもあります。

 

外見をからかうこと、バカにすること

とても普通に、当たり前に

テレビで放送されているから。

 

だいぶ反応しなくなりましたが

 

この前、彼と一緒に居る時に

その言葉が出てきたのです。

私は聞こえてないふりや、なんとも思ってないふり、

ふりというより、

もう仕方ないことだと思ってるのかもしれません。

 

何も、反応しなかったつもりでした。

 

でも彼は

少し時間が経ってから

「わざわざ言うことで、反対に傷つけたらごめんね。さっきの言葉、嫌じゃなかった?」と

聞いてくれたんです。

 

私は、今まで誰も聞いてくれなかったことを

聞いてくれたことにびっくりしてしまいました。

 

「大丈夫だよ」

と答えようとしたけど

なんだかもう、子供みたいに泣いてしまった。

 

彼は私が泣いたので、やっぱり傷つけたと心配してたけど

そうじゃなくて、なんだかもうすっかり忘れてたことを

ずっと無くそうとしてた感情を

そっと掬ってくれたようで

泣いてしまったよ、と。

 

それで、話はまだ続きます…。

 

家に帰ってから

姉にその話をしたんです。

「家にいるときには、そういう外見を笑う話題て全くなかったから

外で聞くたびに慣れるのに大変だったんだよね…」という当時の気持ちも一緒に。

 

そしたら姉は

「だって、みんなも一緒に傷ついてたから。そういうテレビや話題を、嫌だなぁて感じてたんだよ。」と。

私は

ずっと、孤独だと

一人で抱えなきゃと思ってた感情はなんだったの!?

「えー!?伝えてくれればよかったのに!」と

言うと

「わざわざ、言えないよ…」と

姉は泣いていました。

 

2つ上の姉は、実際に私がそういう言葉で傷つけられるシーンに遭遇したこともありました。

年上の知らない先輩や男性なんかに。

 

姉も怖くて傷ついて、一緒に居てくれたことを

初めて知りました。

 

そしてまた、その出来事を母に話しました。

 

母は

「あなたは病気のことを、誰のせいにもしない子なんだよね。

‘もっと丈夫に健康に産んでくれればよかったのに!’と私は責められても良いと思っていたんだけど、そんなこと1回も言わない。」

 

私はびっくりして

「だって、生きられてることだけで

喜んでいるんだもの。

死にそうだったのに

ちゃんと生きられて良かった。」

と、咄嗟に言いました。

 

ボロボロ、泣きながら言いました。

 

生まれたときから未熟児で

死んでしまう状況もあったけど

いろんな人が助けてくれて

こうやって生きてることが嬉しいんだって。

 

そっかー、そうだったんだー。

 

私は、今生きてることに

とても喜んでいるんだ。

 

過去はいろいろあったけど

生きてるなぁ

癒されてるなぁ

 

という日々を

生きています。

私の考える命の話

 

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私、小さい時から生き物が大好きでした。

 

子猫、子犬、哺乳類だけでなく

トカゲやヘビ、カエルも虫も綺麗で
かわいくて、ずっと見ていられます。

 

幼い時は「自分だけの」ペットが欲しくて
石を自分の引き出しにしまっていました。
「私、石飼ってるの!捨てちゃダメ!!」と
母に頼んだのを覚えています。

石にも命を感じていたのか
それともただただ、寂しくて、石を飼っていたのかは、わかりません。

 


私が生まれた時にはもう、家族が犬を飼っていました。

私が3歳になって、ちょうど

妹が生まれるころ、祖父と祖母と一緒に
子猫をもらいに行きました。

私は「もうひとりの私のいもうと!!」と
かわいがりました。

初めての子猫のお腹の模様、肉球の色、抱っこした感じ
覚えています。
生後三か月に満たない雌の猫でした。

その数か月後に家で飼っていた犬にも子犬が産まれて
私は「猫と犬を仲良くさせるんだ!!」と
子犬の群れの中に子猫を連れて行きました。

猫は嫌がって暴れたので、犬小屋の中に子猫を落としてしまいました。
今思っても危なく恐ろしいです。
泣きながら祖母を呼んできて犬小屋へ入りました。

子猫はすみっこでおびえていましたが無傷でした。

私は小学生になると、ハムスターを飼い始めました。
今度は反対に、ハムスターをその猫が襲う出来事がありました。

私はその猫に「やめて!!放して!!」と叫ぶと

くわえていたハムスターを、猫は返してくれました。

そんな経験の中生きていたので
私にとって動物は、人間よりとても優しい存在に感じていました。

 

私は物心ついたときから、どうしようもない不安感や孤独感があって
それを忘れるために、命を感じていたかったのかもしれません。

生き物は、言葉を共有しなくても、そっと私に寄り添ってくれているようでした。

 

人間は、言葉がある分、簡単に人を傷つけるように感じていました。

そういう感覚は、生きるのをより生きづらくさせていたので

本当に小さな虫や、成虫になっても食事をしない蚕なんかを見て

「生きる」を考えていました。

 

9歳の時に、私は原因不明の症状が体に現れて

人と外見が違う状態になりました。

そのことは、小学生の中ではとても大変なことでした。

人は外見が変わることでこんなにも違う扱いを受ける、という体験は

大人になってからも重く、ずっと私をおびえさせました。

 

「みんなと違うように見えるけど、私もみんなと同じように傷つくし

みんなと同じように生きているだけなのに。」

 

この思いは、生き物をより好きになるきっかけだとも思います。

 

姿かたち、種族が違っても

「命」は同じなんじゃないか。

みんなしゃべれないだけで、私みたいに「同じ命なのに」と

心は叫んでいるのではないか。

 

この感覚があるおかげで、


重度の障害や病気でしゃべれない方、

外国の方、傷ついてかみつく犬や猫、

言葉は共有できなくても

心はつながれる、という思いを持って関わってきました。

 

 

どんな命とも、一緒に
地球という場所で生きる友人のように感じていました。

 

ただ、生き物が死んでいく姿は、見ているのがつらいです。

きっとほとんどの人はつらいのですが

私はその命がなくなることは

私の責任だと誰かに責められるような痛みがありました。

それはあまりにも苦しかったのですが

あやさんとのメールをきっかけに、自分の中でも

忘れていた体験を思い出しました。

 

それに気づいてから

生き物が死ぬことはとても自然なことで

大きな地球というサイクルの中で

私が思う以上の大きな愛に包まれていることなのではないか

と思えるようになりました。

 

自然を見ていると、

その種族が生き延びるために、一番強い個体が生き延びられるように

なっている気がします。

そのことはなんだか残酷に見えていました。

人間がここまで自然に介入しているのだから

私のできることはないのかとすごく考えることもあります。

 

でも、「自分の領域」に集中すると

できること、しなくていいことがわかってきました。

生きている限り、命ってことを考え続けて、

生き物と接するたび、いろんなことを感じるんだと思います。

 

これがあやさんとのセッション2回目から3回目までの間の出来事です。

 

やっと書けました。

 

marutenx.hatenablog.com

 

 

色付きの夢1

父の三回忌が先月ありました。

 

そして今日は父の誕生日。

 

そのためか、色付きの綺麗な夢をみました。

 

 

夢なのでかなりファンタジーな感じです。

以下、夢の話。

 

 

 

父の三回忌が終わった日、ピンポーンと

チャイムが鳴って

とても大勢の人が私の家を訪ねました。

 

大きな音楽隊が二組、家の庭にいました。

 

一つの音楽隊はたくさんの楽器を持っていて

もう一つの音楽隊は

綺麗な衣装を着た女性中心の隊でした。

 

「あなたのお父さんが亡くなって2年経ちました。彼の仕事の貢献を讃えて二つの音楽隊が

歌を作りました。

どちらの音楽隊が気に入ったか採点していただけませんか。」

と。

 

一つ目の音楽隊は大きな金管楽器を持ちながら

マスゲームを行いました。

夢なので、音は聞こえなかったのですが

「父はマスゲームが好きだったからなぁ。これはすごい音楽隊だなぁ。」と思いました。

 

かなり感動して、こっちの音楽隊に決まりなんじゃないか、なんて思ってると

もう一組の演奏が始まりました。

 

それは

プロダクションマッピングの映像のように

綺麗なピンク色がグラデーションのように

波になり、花びらが舞う演奏でした。

いろんなピンクがありました。

 

ものすごく綺麗で

こんなこと、できるんだ!!

と感動していると

その隊のリーダーが

「これはお父様が、お母様に贈った桜の言葉をモチーフに作りました。」と解説してくれました。

 

その瞬間、号泣して

「おとーさーん!!」と言う自分の声で目が覚めました。

 

桜の言葉、実際に生前の父が母に言った言葉があるんです。

ここには書きませんが。

 

その夢を、母にしました。

母も泣いていました。

 

きっと何年経っても、父に会いたいんだろうなぁ。

 

なんだかあまりにも見たことが無い綺麗な映像で

ブログに記録してみました。

 

 

 

自分を大切にすること

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2回目のセッションでは

・神さまのこと

・潜在意識、顕在意識の話

・お腹、頭、心の声

・女性らしさ

・自分の領域に集中すること

 

について話しました。

 

自分の領域に集中して…は前の記事に書いたのですが

そこから自分が気づいてとても楽になったことがあります。

 

 http://marutenx.hatenablog.com/entry/2017/11/18/215702

 

 

セッションて、セッションの時間だけでなく

そこから日常生活に現れてくる出来事で

さらに学んでいくんですね。

 

「自分の領域に集中して相手と深くかかわる」

という言葉をあやさんに伝えてもらったとき感じたのは

 

自分の領域を自分で知ることの難しさと

領域を知ったときの悲しみ、そこまでしかできない自分の領域を認めてあげること

 

領域を知るときって

心痛いです。

ここまでなんだぁ〜て

 

私はそれを感じることが嫌で

今の自分を許せなかった。

 

私は、自分を責めることがあまりにも習慣化してて

その痛みは麻痺してしまっていたようです。

 

でもあるとき、その領域を知って悲しんでいたとき、

ふと、鏡を見たんです。

 

そしたら、とても悲しい顔の自分がいて

 

とても苦しそうで泣きそうで

 

今、私を苦しめてるのって私なんだって。

 

できないことがある

どうしても何も変わらないこともある

 

自分の未熟さをすごーく感じる

 

でも、自分を責めることって

 

どんなに食事に気をつけて

体に良いものを食べたり

化粧品や着るもの、体に有害な物質から自分を守っても

 

責めることって

とっても毒なんだ

 

鏡の自分を見たとき、そう思いました。

 

こんな毒をずっと摂取してたら

病気になるし

何か頑張りたい、て思っても

力出ないよね、て。

 

初めて

自分を大切にする、てことがわかった気がしました。

 

すごく腑に落ちて

たくさん、たくさん泣きました。

 

自分をもっと大切にしたい、と

 

 

セッションをすることで

日常で心動くことの多さを感じたときでした。

 

 

 

 

 

私の背中を押してくれた言葉

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あやさんの1回目のセッションは
驚くほど効果があったし
また体験したいなぁという素敵な時間が流れました。

1回目はその後継続してもよいし、単発でもOKのセッションでした。
継続するにはある程度大きな金額が必要だったので
私はすぐに申し込むことはできませんでした。

1回目のセッションが終わってすぐ
母に「ひまわりの私」の話をしました。

 

marutenx.hatenablog.com

 あやさんとのセッションで見つけた私です。

その時、母は涙ぐみながら

「そうだね、あなたはそういう子だったよね。」と。


そして付き合っている彼に話した時も
「そういうひまわりのイメージ、付き合う前から知っていたんだよね。」と。
彼と友人時代の時も
彼には私の中心が見えていたんだと嬉しくなりました。

その彼が、申し込みを悩んでいる私を見て
「悩むよね。でも『私はあやさんと関わりたい、申し込みたい』て
心から望んでるのが伝わってくるよ。今、とってもあやさんとの時間が必要だって。」
と言ってくれたのが

申し込みのきっかけでした。

あやさんとのセッションが終わると彼に電話するのですが
毎回1時間以上話してしまいます。
心が喜びでいっぱいなのと、発見がたくさんあるからです。