樹と自分と地球の話
坂爪圭吾さんのnoteの文章がとても面白くて、パートナーと感想をシェアしあったら更に面白い、地球の話になりました。
とってもファンタジーのようなスピリチュアルのような話。
https://note.mu/keigosakatsume/n/nd3fb7cb2b879
坂爪さんは、一人一人を樹の葉っぱに例えています。
パートナーは「樹なのがいいよね。外に出かけても、街路樹見た時にその考え思い出せて、寂しさが減るんだ。」
そして私には無かった視点も。
「一人一人が葉っぱで、幹につながっているんだけどさ、根からの土、水のエネルギーと、葉の光合成からもらえるエネルギー、どちらもあって、どちらも支え合ってるんだよね。葉が一つ一つの命なら、幹は地球なのかもね。」
私はその言葉を聞いた時
「人間は、食べ物を摂取して排泄するだけでないエネルギーを、地球と循環し合ってるのかも!
人間の心のエネルギーも地球は嬉しいのかもしれない。」という考えが浮かびました。
私はいろんな生き物の生き方を知るたび、
人間はどうして人間になったんだろう。
とても欲深くて、必要以上に欲しがって、征服したくて、地球を汚してる…それがとても苦しい。
そんな気持ちがいつもありました。
最近、尊敬する友人から
「人間は他の種を大切にできる生き物だよ。他の命を唯一ケアできる生き物だと思う。」と聞いてから
心の隅に、このテーマをずっと考えていたんだと思います。
海を汚す人もいれば、海のゴミをとる機械を発明する人もいる。
樹を倒す人も、植える人もいる。
その全ての人に共通するのは、自分や誰かの幸せを願ったり、どんな生き物よりも思考できる心を持っていること。
嬉しかったり、悲しかったり
誰かを憎んだりする気持ちでさえ、もしかしたら地球は喜んでいるのかも。
私たち人間の中に浮かんで消えて、見えないけど確かにある心のエネルギーを循環させているのかも。
どんな感情も、あってよくて、豊かで
それは地球の自然みたいに様々なんだろうなぁ。
そんなことを、ぼんやり考えました。
私は生き物に対しての考え方がとても幼く、青虫がカマキリに食べられていたら泣いてしまいます。
動物のドキュメンタリー番組も、草食動物が食べられるのが苦しくて見られません。
私は肉を食べるのに。
この感覚はとても苦しかったのですが
この、命は樹と葉の関係で
地球と命の関係だ
という考えを知ってから
すごく楽になりました。
青虫はカマキリになっただけで、それは葉だったのが落ちて土に還ってまた樹のエネルギーになるのと同じ。
ずっと続いていて、悲しむ必要は無いんだと。
亡くなった父は最近まで近くの枝に居て、見えた葉っぱだったけど、今は遠くの葉っぱか根っこになっているのかもしれない。
それでも私は悲しんだり残念に思ったりするかもしれない。
その気持ちが心にあっても、それも地球なんだなぁと。
私を大切にすることは地球を大切にすることと同じで
自分の心を心地よいエネルギーで満たしていたら(それは悲しさや怒りでも、自分がちゃんと感じられる居心地の良さがあればいい)
周りの人、世界を、地球を心地よくできるのかもしれない。
青虫の観察が一段落して、最近は
すごく自分が知りたい。
自分も青虫と同じくらい大切にやっと思えたんです。
青虫と比較しちゃうところが面白いけど。
自分がどこに痛みを感じるのか、どこに喜びを感じるのか、誰かと一緒じゃなくて良くて、私という命を感じたい、知りたいと強く思うようになりました。