癒される

前回の記事を書いてから

すごく癒される体験がありました。

 

自分が人と違う状態になってしまったことを言葉にできたこと

「そのおかげで生き物がより好きになった」と

 

自然に、

自分にとって人生をより豊かにしてくれてるのかも…と思えたからかなぁ。

 

そういうとき

「まだまだギフトがあるよ〜」と

誰かがプレゼントを届けてくれたようです。

 

 

 

私は9歳でその症状が出てから

今までたくさんの人に会ってきました。

仕方なく、のときや

話さなくちゃいけない状況

この人に話してみよう、

とカミングアウトしてきました。

 

なるべく、重くならないよう、もうなんとも思ってないように、装いながら。

 

そのおかげか、特に変に気を使われ過ぎもしないし、過保護に扱われすぎもしなく

大人になりました。

 

けれど、小さいときにたくさん浴びせられた言葉って

体が覚えているようで、きゅーと苦しくなることもあります。

 

外見をからかうこと、バカにすること

とても普通に、当たり前に

テレビで放送されているから。

 

だいぶ反応しなくなりましたが

 

この前、彼と一緒に居る時に

その言葉が出てきたのです。

私は聞こえてないふりや、なんとも思ってないふり、

ふりというより、

もう仕方ないことだと思ってるのかもしれません。

 

何も、反応しなかったつもりでした。

 

でも彼は

少し時間が経ってから

「わざわざ言うことで、反対に傷つけたらごめんね。さっきの言葉、嫌じゃなかった?」と

聞いてくれたんです。

 

私は、今まで誰も聞いてくれなかったことを

聞いてくれたことにびっくりしてしまいました。

 

「大丈夫だよ」

と答えようとしたけど

なんだかもう、子供みたいに泣いてしまった。

 

彼は私が泣いたので、やっぱり傷つけたと心配してたけど

そうじゃなくて、なんだかもうすっかり忘れてたことを

ずっと無くそうとしてた感情を

そっと掬ってくれたようで

泣いてしまったよ、と。

 

それで、話はまだ続きます…。

 

家に帰ってから

姉にその話をしたんです。

「家にいるときには、そういう外見を笑う話題て全くなかったから

外で聞くたびに慣れるのに大変だったんだよね…」という当時の気持ちも一緒に。

 

そしたら姉は

「だって、みんなも一緒に傷ついてたから。そういうテレビや話題を、嫌だなぁて感じてたんだよ。」と。

私は

ずっと、孤独だと

一人で抱えなきゃと思ってた感情はなんだったの!?

「えー!?伝えてくれればよかったのに!」と

言うと

「わざわざ、言えないよ…」と

姉は泣いていました。

 

2つ上の姉は、実際に私がそういう言葉で傷つけられるシーンに遭遇したこともありました。

年上の知らない先輩や男性なんかに。

 

姉も怖くて傷ついて、一緒に居てくれたことを

初めて知りました。

 

そしてまた、その出来事を母に話しました。

 

母は

「あなたは病気のことを、誰のせいにもしない子なんだよね。

‘もっと丈夫に健康に産んでくれればよかったのに!’と私は責められても良いと思っていたんだけど、そんなこと1回も言わない。」

 

私はびっくりして

「だって、生きられてることだけで

喜んでいるんだもの。

死にそうだったのに

ちゃんと生きられて良かった。」

と、咄嗟に言いました。

 

ボロボロ、泣きながら言いました。

 

生まれたときから未熟児で

死んでしまう状況もあったけど

いろんな人が助けてくれて

こうやって生きてることが嬉しいんだって。

 

そっかー、そうだったんだー。

 

私は、今生きてることに

とても喜んでいるんだ。

 

過去はいろいろあったけど

生きてるなぁ

癒されてるなぁ

 

という日々を

生きています。