あやさんのカフェタイムを終えて

日曜日、無事にイベントは終了しました。

 

marutenx.hatenablog.com

 

 

今回、私はお手伝いとして参加させていただけて。

今日のブログは

参加したことで見えてきた自分について。

 

 

 

あやさんとは他の講座で出会ったのですが

その時の講師の方も「自由に動いていいからね」と

私の感じ方を尊重してくれた。

 

じゃあ、その講座の時も含めて

私って、複数の人の中に居るときって何を感じてるんだろ?

というのを最近探っていました。

 

自分にはいつものことで

当たり前なので、何をしているか感じたことがなかったのです。

 

基本、あんまり中心にいるとソワソワしてしまって

場の全体を見ているなぁ。

みんなが何を感じてるのかな、とぼんやり空気を読んでるような感じだなぁ。

自分が大勢が苦手だから、誰かがこの場で嫌な気持になってないか、

みたいなことに敏感なのかなぁ。

 

あやさんに大勢の中の時、他の人が気にならないか聞いたことがあります。

あやさんも周りを感じるけど、それよりも自分が話したいことがあるって。

 

私も話したいんだけど、ずっと話したいわけではなく

あんまり注目されるのは苦手だし・・・。

中心から少し離れている自分がいる。

そのことは少し寂しくも感じていて。

 

 

 

でも最近、3人以上集まったとき、とってもわかったことがあって。

イベントの時も同じことが起こったのですが、

ある瞬間、私は人の目や空気や他の物を感じないで

勝手に動くときがある。

(あ、でもやっぱり少しドキドキしながら動いてるかな。

怖い気持ちはあるけど、相手に拒否されても届けたくなるものが出てくる)

 

それは、誰かが心から何かを話そうとするとき。

心を見つめてるとき。

辛い経験の話、大好きな人の話、幸せな話、今泣きたい話。

 

その、人の心が見えてきたことが

嬉しくって、うれしくって

その人に触れたくなってしまう。

本当は心に触りたい気持ち。

 

言葉にすると

「生きていてくれてありがとう!」に近いです。

これでもまだしっくりしてはないんだけど

今のところ、これが一番近い。

 

きっとそれは、自分にも言っていて。

生きるのって、心を感じたり、体を感じたり。

きっと誰かとダンスしたり合唱したりした時に近くって

一緒に生きてる!が強くなって。

 

相手は辛くって泣いてるんだけど

その人の奇麗さや純粋さ、一生懸命さにすごくエールを送りたくなる。

もうすっかり過去の話をしてくれていても

その人の中に小さなその人が見えたりして

ぎゅーっとハグしたくなる。

 

ありがとう~!!て

私の心の中から溢れてきて

伝えたくなってしまう。

 

それはもしかしたら、自分の投影かもしれない。

いろんなことに傷ついてきた自分に伝えたいのかもしれない。

 

それでも、誰かの心が見えた時

相手が大好きで、今ここに一緒にいることがうれしくて

動いている自分がいるなぁっと。

 

そして思ったのが、私は私の過去をだいぶ肯定できるようになったから

なんだか毎日に愛があふれるようになったこと。

 

あやさんもイベントの中で、傷を見ることを話していて。

傷を見られなかったし、見てるつもりにしてた。

 

文章で書くとちょっと誤解もありそうだけど

 

過去の辛かったことを何度も思い出すことが

傷を見ることではなくて。

なんというか、傷も丸ごと肯定できる自分。

弱くって泣いちゃって、簡単に傷を作って

誰かにぶつけちゃう自分でも、肯定できること。

あ、ぶつけちゃったら後で謝ったほうがいいけどね^^

 

どうして肯定できるようになったの、と日曜日から自分に聞いています。

そこから見えてきたことをまた次回、書くかもしれません。