あやさんのカフェタイムを終えて

日曜日、無事にイベントは終了しました。

 

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今回、私はお手伝いとして参加させていただけて。

今日のブログは

参加したことで見えてきた自分について。

 

 

 

あやさんとは他の講座で出会ったのですが

その時の講師の方も「自由に動いていいからね」と

私の感じ方を尊重してくれた。

 

じゃあ、その講座の時も含めて

私って、複数の人の中に居るときって何を感じてるんだろ?

というのを最近探っていました。

 

自分にはいつものことで

当たり前なので、何をしているか感じたことがなかったのです。

 

基本、あんまり中心にいるとソワソワしてしまって

場の全体を見ているなぁ。

みんなが何を感じてるのかな、とぼんやり空気を読んでるような感じだなぁ。

自分が大勢が苦手だから、誰かがこの場で嫌な気持になってないか、

みたいなことに敏感なのかなぁ。

 

あやさんに大勢の中の時、他の人が気にならないか聞いたことがあります。

あやさんも周りを感じるけど、それよりも自分が話したいことがあるって。

 

私も話したいんだけど、ずっと話したいわけではなく

あんまり注目されるのは苦手だし・・・。

中心から少し離れている自分がいる。

そのことは少し寂しくも感じていて。

 

 

 

でも最近、3人以上集まったとき、とってもわかったことがあって。

イベントの時も同じことが起こったのですが、

ある瞬間、私は人の目や空気や他の物を感じないで

勝手に動くときがある。

(あ、でもやっぱり少しドキドキしながら動いてるかな。

怖い気持ちはあるけど、相手に拒否されても届けたくなるものが出てくる)

 

それは、誰かが心から何かを話そうとするとき。

心を見つめてるとき。

辛い経験の話、大好きな人の話、幸せな話、今泣きたい話。

 

その、人の心が見えてきたことが

嬉しくって、うれしくって

その人に触れたくなってしまう。

本当は心に触りたい気持ち。

 

言葉にすると

「生きていてくれてありがとう!」に近いです。

これでもまだしっくりしてはないんだけど

今のところ、これが一番近い。

 

きっとそれは、自分にも言っていて。

生きるのって、心を感じたり、体を感じたり。

きっと誰かとダンスしたり合唱したりした時に近くって

一緒に生きてる!が強くなって。

 

相手は辛くって泣いてるんだけど

その人の奇麗さや純粋さ、一生懸命さにすごくエールを送りたくなる。

もうすっかり過去の話をしてくれていても

その人の中に小さなその人が見えたりして

ぎゅーっとハグしたくなる。

 

ありがとう~!!て

私の心の中から溢れてきて

伝えたくなってしまう。

 

それはもしかしたら、自分の投影かもしれない。

いろんなことに傷ついてきた自分に伝えたいのかもしれない。

 

それでも、誰かの心が見えた時

相手が大好きで、今ここに一緒にいることがうれしくて

動いている自分がいるなぁっと。

 

そして思ったのが、私は私の過去をだいぶ肯定できるようになったから

なんだか毎日に愛があふれるようになったこと。

 

あやさんもイベントの中で、傷を見ることを話していて。

傷を見られなかったし、見てるつもりにしてた。

 

文章で書くとちょっと誤解もありそうだけど

 

過去の辛かったことを何度も思い出すことが

傷を見ることではなくて。

なんというか、傷も丸ごと肯定できる自分。

弱くって泣いちゃって、簡単に傷を作って

誰かにぶつけちゃう自分でも、肯定できること。

あ、ぶつけちゃったら後で謝ったほうがいいけどね^^

 

どうして肯定できるようになったの、と日曜日から自分に聞いています。

そこから見えてきたことをまた次回、書くかもしれません。

 

 

救いたかった人

今日はとうとう、5回目のセッションについて書きたいと思います。

このことはまだ私を苦しい気持ちにさせるし、その出来事の付近には

小さな傷が散らばっていて、完全になくなるまでは

まだ時間がかかる感じもしています。

あやさんの半年のセッションが終わった後も少しずつ変化して

少しずつ、見えてきています。

 

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3回目のセッションあたりから見えてきたことは

「私は母を救いたい、と願っている」ということ。

なのに母は全然生きるのが楽になっていなくて

私はそのことに怒りを感じていました。

3回目のセッションのあたりはそのイライラがとても続いていて

些細なことで母と言い合っていました。

 

セッションで知った

「誰かを救いたい、と願っているときは自分が一番救われたい。」

誰を、救いたいの?その問いから5回目は始まりました。

 

心に聞くと、もうずっと、知ってたんだけどね。

8歳くらいの私。

 

寝る前に一人で泣いている私。

 

どうして泣いているのかも知っているし

そのあと眠れないこともわかってる。

その私をずっと、ずっと救いたかったんだ。

 

8歳のときに起きた出来事を

私はずっと、許せなかった。

誰かに話すこともできなくて、一人で抱えていると

夢にも出てきてしまう。

泣いて目が覚めることをばれないように。

私の罪がばれませんように、と願っていました。

隠すことって、とても罪の意識を高める気がします。

 

私は神様の存在を信じていた分、こんな私は救われないとも強く思っていて。

みんなは死んだら天国に行けるけど、私は行けないっておびえていました。

 

 

人生で起きる、私がどうしてもクリアできない出来事はすべて

ここにつながっているようでした。

そのことを、初めてあやさんに話してみました。

 

5回目のセッションはあやさんが借りているサロンだったので

人目がなかった分、このことを話せたのだと思います。

 

当時のことを思い出すのは辛すぎたのですが

あやさんがボディワークをしてくれたので

少しリラックスしながら横になりました。

ゆっくり、話をして

辛い気持ち、悲しい気持ちを全部感じました。

ずっと泣いていました。

泣き続けながら、あやさんの質問に答えていくと・・・。

 

私はこれまで、ものすごい罪の意識で生きてきたことがわかりました。

その出来事から後の人生は、その罪を償うためのように生きていました。

幸せになることが許されていないように感じていました。

 

でも、許してもらえる。

そのことは、私が生きるための手段だった。

私はそうしなければ、死んでしまっていたのかもしれない。

ということが

セッションの中で出てきました。

 

・自分が幸せを避けていたこと

・死なないために、その選択をしたこと

 

今まで全く思いもしなかった意識なので驚きました。

 

そして

幸せに生きてもいんだよ。幸せに生きてね。

というメッセージをもらいました。

 

私は8歳のあの自分に会ったら、そう伝えてあげたいです。

あなたのせいじゃないよ、ってことも一緒に。

 

私はずっと、母にもっと私の気持ちを見てもらいたかった。

でも母は自分の人生で精一杯で、私がどんな気持ちで生きているのか見る余裕はなかったので

まず母を楽にしたら、私のことも大切にしてくれるかな、と

小さな私は考えたのだと思います。

その癖はだいぶ染みついていて、今も自分以外の誰かの気持ちを優先した後に

自分の気持ち、となりがちです。

 

なぜ周りの大人は気づかないのかなぁとも思っていました。

8歳の時の学校の担任も、母によく似た人で。

「ああ、この人も自分のことで精一杯だから

自分の心が楽になるために、生徒を叱っているなぁ」と

私には見えていました。

 

周りの大人に、自分の心は自分でどうにかしてほしい、と願ってました。

 

それは私が精一杯で、大人に助けてもらいたかったんですよね。

 

大人になった私は、一番に自分のことを大切にしてあげたいなぁ。

そして小さな子供の表情や心に、気づける人になりたいなぁ。

 

今回はとっても重い感じなのですが

この話ができたサロンで、あやさんが第2回目のカフェタイムを開催しますよ~。
奇麗でほっとする場所。

 

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一緒に参加してみませんか

あっという間に3月です。

 

来週の日曜日、一緒にあやさんに会いに行きませんか?

http://unparalleled-view.com/ws-seminar/

 

 

私が半年間コーチングのセッションを受けていた中村あやさんが
旦那様のよしさんと一緒に、コーヒー付きのイベントを開催します。

 

このイベント開催場所のサロンで、私も一回セッションを受けたことがあります。

主にあやさんとはホテルのラウンジやゆったりできるカフェでお会いすることが多いのですが

このサロンはまた違う雰囲気です。

ゆっくりと、そして安全に、いつも以上に深い話ができる気がします。

 

私が一番変化した5回目のセッションも、このサロンでの出来事でした。

また近いうちに5回目のセッションについても書く予定です。

 

・誰にも話したことがないような悩みがある。

・休日、誰かと会いたい気持ちがあって動いてみるけど

なんだか違うような、物足りない気持ちで帰ってくる…。

・今の仕事、パートナシップに不安がある。

・お互いが心地よいパートナーシップを築きたい。

 

そんな人におすすめです。

 

よしさんがとてもあやさんを大切に思っていること

そのよしさんの安定感があるから

あやさんが思いっきり力を発揮できること

 

私はお二人を見ていると

そんなバランスのとれた、やさしい心地よいエネルギーで

とっても幸せになります。

 

そうそう、男性が信じられない、怖いって思いを持っている人にもおすすめです。

 

よしさんがとっても深い愛情を持っていること

見ていてとってもわかるんです。

(これはすべての男性が持っている才能だと思うのですが

まだそういう男性との関係にない時、男性って怖いような信じられないような感覚って

ほとんどの女性が持っている気がします)

その愛情を引き出してるのって、あやさんなんですよね。

 

今、恋愛関係にない男性でも

同じようにすごく深い愛情ってもっていて。

それがわかって受け取れるようになった時、ぴったりな恋人に会える気がします。

 

女性だって愛情あふれているけれど

男性ってまた全然違うんです。

とっても驚いてしまう、深い深い愛情です。

 

そんな愛情の循環を、実際に自分の目で見て

心で感じられるチャンスです。

 

 

そんな素敵な日曜日をご一緒しませんか。

 

申し込みはリンクからあやさんのページでお願いします。

以下、あやさんのページからイベント詳細です。

 

http://unparalleled-view.com/ws-seminar/

__________________________________________________________________

 

 

【イベント詳細】


日時:2018年318日(日)14:0016:45頃まで


参加費:6000円(中村あやがハンドドリップする淹れ立ての珈琲と、お菓子付き♡)


 私が勤める珈琲豆やさんから、焙煎したての新鮮なお豆を何種類か用意します。お好みをお伺いしておすすめのものを一杯お淹れします。


※ 珈琲が苦手な方には、ミルクたっぷりカフェオレをご用意します。


定員:4名様


場所:東京都内 JR千駄ヶ谷駅より徒歩3分にある、貸切サロンにて


 お申し込みの方に詳細お知らせいたします

 

 

 

 

 

カルテット

先週末、チェロの生演奏を聴いてきました。

 

ピアノやギター、ドラムは直接聴いたことはありましたが

初めてのチェロでした。

 

300人ほど入るホールでの演奏は

音が良く聴こえて

身体中に音楽のエネルギーが入ってくるようでした。

 

 

チェロは大きめな楽器なので

私は聴いていて

なんだかチェロがひとりの人間に感じていました。

チェロがずっと奏でたいことがあって

それを演奏者と協力して

音を出してるようで。

演奏者の技術と感性で彼らの声を届けてるようでした。

 

 

そのわけが、演奏者のトークでわかりました。

チェロ、とても古い楽器だったのです。

1600年代から1700年代に造られたものばかりです。

 

私が感じた、一つの命のような感覚。

古い歴史を、私なんかよりもずっとたくさん経験してベルギーやイギリスから渡ってきたのでした。

 

4人の奏者の中で一人だけ女性が居ました。

植草ひろみさん

http://www.u1.sokei.co.jp/Hiromi/

 

彼女がトーク中にそれぞれのチェロが何年に生まれて何処から来たのかを紹介してくれたのですが

そのときに

「このチェロを造った製作者の方も、今このホールに来てるのかなぁ、なんて思いながら演奏しています。」とおっしゃってました。

 

そっかー!そういう魂ののった音なんだぁ。

ただこの瞬間に音を出すために

いろんな人の想いや願いをのせてきたんだなぁ。

 

植草ひろみさんは

明るくて大胆な雰囲気のある女性で

私のすごく好きな感じの方でした。

男性の中で生き生き自分の才能を発揮してる女性てすごく素敵。

女性の柔らかさやあたたかさが際立っていました。

 

他の3人の男性も皆さん強い信頼関係で

楽しみながら演奏してるのが伝わりました。

 

音楽っていいなぁ。

 

 

 

 

4回目のセッション

このブログは友人であり、優れたコーチである
「中村あや」さんと私のセッションを中心に
書いています。
あやさんのホームページ
http://unparalleled-view.com/

 

なかなか書き進めません…。

でももう、6回全てのセッションが終了したので

記憶が古くならないうちに書きたいと思います。

 

4回めのセッションは

漠然とした不安でした。

 

実はここ数日、同じ気持ちに陥っていて

また同じことをしてました。

 

何回も同じことをしながらでも

だんだん回数が減ってきて

立ち直りが早くなってきたんじゃないかなぁと思います。

その大きなポイントは最終セッションの記事で書きますね〜。

 

 

4回目のセッションのときは

細かな不安がたくさんあって

何を聞きたいのか、良い質問も浮かばない感じでした。

 

自分のエネルギーがすごく下がっているのはわかっていました。

 

あやさんは

そんな漠然とした感じの私でも

ちょうど良いタイミングで

良いアドバイスをくれました。

 

「そのモヤモヤは、成長してるからだよー!」

「できない自分を受けいれる、ことと、行動をセットにすると良いよね。」

 

私はやりたいこと、やらなくちゃいけないことはたくさんあったのですが

動かなくなってました。

 

どうして動けないのか

・動けないほどの傷がある

・動けない自分を責めている

 

動けないほどの傷は癒していく必要がありますが

動けなくなるよう、何か自分を責めていることもわかりました。

 

とても、些細なことです。

朝、起きる時間がいつもより30分遅れると

やらなきゃいけないことに追われてしまって

寝坊した自分を責めていました。

 

朝からもう、最悪なスタートです。

寝坊したことは取り返せないけど

その自分を責めても

行動は早くならない。

むしろ、遅くなってしまう。

 

今日は寒かったもんね〜

昨日、寝るの遅かったものね〜

でも、もっと早く起きたかったってすごく願ってる自分素敵だね〜

 

みたいな声かけが必要なんだと。

 

昔、友人に言われました。

とっても甘やかす母親が声をかけるように

自分に声をかけたいよね、と。

 

褒めたり、労ったり、愛情いっぱいでハグしてくれたり

心も体も喜ぶご飯を作ってくれたり。

 

その行為を、自分で自分にしてみようって。

 

今日はこの時のセッションから2ヶ月経ってますが

やっぱり気づくとまだこうやって

自分を大切にすること忘れてしまいます。

 

少しずつ、習慣化したいなぁ。

そうそう!

習慣化で思い出したけど

あやさんは習慣化のための手帳術のコミュニティを作っています。

 

このコミュニティに関わる出来事が最終セッションで起こるのでまた書きます。

お楽しみに!

 

 

最後に

あやさんが伝えてくれた言葉

「自分の人生に集中する。人と比べてたらもったいない!」

「一番自分をないがしろにしてるのは自分。

もっと自分を大切にしよう!」

 

 

 

 

見えてきたこと

 

久しぶりのブログになりました。

 

 

今日は水曜日。明後日の金曜日には

あやさんとの最終セッションです。

 

このブログは友人であり、優れたコーチである
「中村あや」さんと私のセッションを中心に
書いています。
あやさんのホームページ
http://unparalleled-view.com/

 

寂しい気持ちと、半年間で得たものをちゃんとより深く認識していきたいという気持ち。

 

まずは3回目と4回目のセッションのまとめを書きます。

 

5回めのセッションでは人生でずっと苦しかったこと

誰にも言えなかったことが癒されて

どんなカウンセリングや病院でも話せなかったことが手放せる経験をしました。

 

今思い返すと

3回め、4回めはその5回めのための心の動きでした。

 

3回めのセッションでは

・朝、夜、目がさめる時、眠りに入るときに

セッションで見つけたひまわりの自分につながる、感じてみる

 

これは日常の自分が本当の願いにつながりやすくなる。

世界は自分が作っていることを感じやすくなる。

 

・誰かを救いたい、と願っているときは

自分が一番救われたい。

 

私は何を、救ってもらいたいんだろう。

どのときの、自分なんだろう。

 

・とても大嫌いな人がいる。

自分の世界に居てほしくない、と強く願う嫌いな人がいて

その人をずっと排除したかった。

 

3回めはこんな感じ。

とても大嫌いな人について、今回は書きます。

 

私はその人を思うと、いつも私を守って助けてくれる他の人も嫌いになりそうな

人って大嫌いだ!という苦しい気持ち、

私はひとりぼっちだ!という寂しさで

いっぱいになってました。

 

どうしたらその人に関わらなくてすむのか

そんなことをあやさんに相談しました。

 

そこで見えてきたのは

その相手がとても傷を抱えていること

その人を排除することは

私の望んでいる世界ではないこと。

 

その人が、その人自身を自分で大切にできて

私と関わるときも

痛みや傷で、私の注意を惹こうとするのではなく

あたたかい気持ちから関わってほしいこと。

 

その人への願いは、自分への願いでもあって。

私は私をもっと大切にしていい。

もっと認めてあげていいよ、て。

 

私が自分を生きていたら

きっと周りもそうなっていくんじゃないかって。

 

 

そしたらね、なぜかその人と会っても

嫌じゃなくなった。

あんなに苦しくて黒い感情だったのに。

 

その人の私への嫌がらせが可愛く思えるように(笑)

なぁ〜んだ、愛情ほしいんだなぁと。

 

そしたらもうひと段階、自分の中が見えるようになって。

その人から引き出された怒りや寂しさって

私の中にずっとあって

その私を、私は救いたかったんだ。

 

4回めのセッションに続きます。

 

癒される

前回の記事を書いてから

すごく癒される体験がありました。

 

自分が人と違う状態になってしまったことを言葉にできたこと

「そのおかげで生き物がより好きになった」と

 

自然に、

自分にとって人生をより豊かにしてくれてるのかも…と思えたからかなぁ。

 

そういうとき

「まだまだギフトがあるよ〜」と

誰かがプレゼントを届けてくれたようです。

 

 

 

私は9歳でその症状が出てから

今までたくさんの人に会ってきました。

仕方なく、のときや

話さなくちゃいけない状況

この人に話してみよう、

とカミングアウトしてきました。

 

なるべく、重くならないよう、もうなんとも思ってないように、装いながら。

 

そのおかげか、特に変に気を使われ過ぎもしないし、過保護に扱われすぎもしなく

大人になりました。

 

けれど、小さいときにたくさん浴びせられた言葉って

体が覚えているようで、きゅーと苦しくなることもあります。

 

外見をからかうこと、バカにすること

とても普通に、当たり前に

テレビで放送されているから。

 

だいぶ反応しなくなりましたが

 

この前、彼と一緒に居る時に

その言葉が出てきたのです。

私は聞こえてないふりや、なんとも思ってないふり、

ふりというより、

もう仕方ないことだと思ってるのかもしれません。

 

何も、反応しなかったつもりでした。

 

でも彼は

少し時間が経ってから

「わざわざ言うことで、反対に傷つけたらごめんね。さっきの言葉、嫌じゃなかった?」と

聞いてくれたんです。

 

私は、今まで誰も聞いてくれなかったことを

聞いてくれたことにびっくりしてしまいました。

 

「大丈夫だよ」

と答えようとしたけど

なんだかもう、子供みたいに泣いてしまった。

 

彼は私が泣いたので、やっぱり傷つけたと心配してたけど

そうじゃなくて、なんだかもうすっかり忘れてたことを

ずっと無くそうとしてた感情を

そっと掬ってくれたようで

泣いてしまったよ、と。

 

それで、話はまだ続きます…。

 

家に帰ってから

姉にその話をしたんです。

「家にいるときには、そういう外見を笑う話題て全くなかったから

外で聞くたびに慣れるのに大変だったんだよね…」という当時の気持ちも一緒に。

 

そしたら姉は

「だって、みんなも一緒に傷ついてたから。そういうテレビや話題を、嫌だなぁて感じてたんだよ。」と。

私は

ずっと、孤独だと

一人で抱えなきゃと思ってた感情はなんだったの!?

「えー!?伝えてくれればよかったのに!」と

言うと

「わざわざ、言えないよ…」と

姉は泣いていました。

 

2つ上の姉は、実際に私がそういう言葉で傷つけられるシーンに遭遇したこともありました。

年上の知らない先輩や男性なんかに。

 

姉も怖くて傷ついて、一緒に居てくれたことを

初めて知りました。

 

そしてまた、その出来事を母に話しました。

 

母は

「あなたは病気のことを、誰のせいにもしない子なんだよね。

‘もっと丈夫に健康に産んでくれればよかったのに!’と私は責められても良いと思っていたんだけど、そんなこと1回も言わない。」

 

私はびっくりして

「だって、生きられてることだけで

喜んでいるんだもの。

死にそうだったのに

ちゃんと生きられて良かった。」

と、咄嗟に言いました。

 

ボロボロ、泣きながら言いました。

 

生まれたときから未熟児で

死んでしまう状況もあったけど

いろんな人が助けてくれて

こうやって生きてることが嬉しいんだって。

 

そっかー、そうだったんだー。

 

私は、今生きてることに

とても喜んでいるんだ。

 

過去はいろいろあったけど

生きてるなぁ

癒されてるなぁ

 

という日々を

生きています。