世界平和とパートナーシップ4

父と母の話はここで一段落です。

 

 

 

父と母の愛が私を作っている、この家族を作っている、

その家族の一員だということが嬉しく、すごい奇跡だとも思いました。

 


そして私が、心からパートナーを求めたのも

父と母のおかげです。

 

 

 

このことを書くのは

私の中の宝物を見せるようでなんだかドキドキします。

とても尊くて貴重で

そっとしていたい気持ちと

こんなことってあるって

多くの人に知ってもらいたい気持ちです。

 

 

 

 

 

 

父がもう、目が見えなくなる、意識がなくなる寸前に願ったのは

少しでも長く、母を見ていたい

母を幸せにしたい

そう強く願っていました。

 


子供達のことなんか全く考えていないように、母を探していました。

母が悲しむことを、一番悲しんでいました。

 

 

 

 


また会いたいなぁ、と母に言いながら、亡くなりました。

 


また会いたい、死ぬ直前まで

もしかしたら死んでからも

そう願える相手に

私も会いたい。

 

 

 

 


つづく

 

 

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世界平和とパートナーシップ3

世界平和への道は、大きな革命が必要だと思っていたのですが

そうではないみたい、というのが最近の私です。

 


きっと革命を起こす人達も居ますが、私は違う、ということなのかもしれないし

革命の裏にはパートナーシップが在ったのだとも思います。

 


心から世界が幸せだと感じたのは

父が亡くなる前のある瞬間でした。

 

 

 

父の余命がわかったとき、ずっと内緒にしていた弟に告げて

(弟は院試を控えていたりして、回復するまで内緒にしてほしい、と父が願ったのです。)

 


急いで新幹線でやってきた弟と

他の兄弟と、家族全員が揃った病室でただ、一緒の空間に居る瞬間でした。

 


弟が間に合ってよかった。

ここに家族全員でいることだけで

とても満たされるなぁ。

なんて平和なんだろう。

なんて幸せなんだろう。

とっても素敵な家族だよなぁ。

この素敵な家族は

父と母の愛で作られたんだぁ。

 


それがじんわり心に広がったとき

世界は完璧でした。

なんにも必要なく、ただただこの瞬間を忘れずに生きていきたいって思いました。

 

 

つづく

 

 

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世界平和とパートナーシップ2

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どうして、小さい頃から世界平和、

一人一人の幸せを願っていたかというと

私がいじめられっ子だったから。

 


どうやら世界は優しくて、いじめられることって稀だと知ったのは26歳のときでした。

 


それまではずっと、気をつけないといじめられるから

集団には近づかないように

人とは良い距離でいるように

心がけていました。

 


いじめて、小さな戦争ですよね。

人が人を傷つけることが暗黙の了解のような、当たり前に起きてしまっている。

それは規模が違っても、いじめも戦争も同じではないかと。

 


どうしていじめって起きるのかずっと考えていたんです。

 


17歳のときに、犯罪加害者についての本を読んだときでした。

 


人は、自分が傷つけられた分、それと同じかそれ以上の傷を誰かにぶつけたくなる。

 


心の中にバロメーターがあったとして

例えば、私は誰かに怒られたことで

心に30の傷を負う。

そしたらそれを、誰かに30として渡さないと

苦しくなる、怒りや悲しみを感じるのが嫌だから

誰かにぶつけて、30のエネルギーを取り戻したくなる。

 


これって、とても間違った認識だし

危ないと思うんですが

世の中ではよく起こっていると思います。

家庭内の問題で疲れている上司が部下に当たったり

いじめっ子は被虐待児だったり。

 


でも実は、自分の心を100に保つのって、自分にしかできない。

自分の苦しみや苛立ちを

「そっかそっか、大変だったね、嫌だったね」と自分で言うことでしか

回復しないのではないかと、私は考えたのです。

そして、自分を傷つけられるのって、自分しかいない。

 


それを知ったとき、じゃあ全ての人間が自分を幸せにすることに集中したら

世界平和になる!

いじめもなくなる!

 


そう発見したのです。

それはとても希望でした。

そしてそれを叶えるためには、マザーテレサガンジーのように

世界を動かす行動が必要だと

ずっと思っていました。

 


つづく

世界平和とパートナーシップ

私の最近のテーマはパートナーシップです。

自分を動かすエネルギーのほとんどはこの関係性で作られているのではないかと思います。

 


幼い頃から、ずっと世界平和を目指していました。

でも実は、パートナーシップも世界平和に繋がるのです。

世界平和の最初はパートナーシップだとも言えるのではないかなぁ。

 


私がパートナーシップを深く学んでいるのは以前、ブログでも紹介した中村あやさん、と

ふたこわたるさんから。

 


でも実は、私は最高のパートナーシップの基礎は

父と母から得たのでした。

 


その前に、私が考える世界平和について書きたいと思います。

戦争が無い世界なのは大前提なのですが

私が幼い頃から感じていた世界平和て

一人一人が、自分を全力で幸せにすること。

周りや家族ではなく、自分。

究極、自分を幸せにできるのって自分しかいないし

自分が誰かを幸せにすることってできない、と感じていました。

 

 

 

つづく

樹と自分と地球の話

坂爪圭吾さんのnoteの文章がとても面白くて、パートナーと感想をシェアしあったら更に面白い、地球の話になりました。

とってもファンタジーのようなスピリチュアルのような話。

 

https://note.mu/keigosakatsume/n/nd3fb7cb2b879

 

坂爪さんは、一人一人を樹の葉っぱに例えています。

 

パートナーは「樹なのがいいよね。外に出かけても、街路樹見た時にその考え思い出せて、寂しさが減るんだ。」

そして私には無かった視点も。

「一人一人が葉っぱで、幹につながっているんだけどさ、根からの土、水のエネルギーと、葉の光合成からもらえるエネルギー、どちらもあって、どちらも支え合ってるんだよね。葉が一つ一つの命なら、幹は地球なのかもね。」

 

私はその言葉を聞いた時

「人間は、食べ物を摂取して排泄するだけでないエネルギーを、地球と循環し合ってるのかも!

人間の心のエネルギーも地球は嬉しいのかもしれない。」という考えが浮かびました。

 

私はいろんな生き物の生き方を知るたび、

人間はどうして人間になったんだろう。

とても欲深くて、必要以上に欲しがって、征服したくて、地球を汚してる…それがとても苦しい。

 

そんな気持ちがいつもありました。

最近、尊敬する友人から

「人間は他の種を大切にできる生き物だよ。他の命を唯一ケアできる生き物だと思う。」と聞いてから

心の隅に、このテーマをずっと考えていたんだと思います。

 

海を汚す人もいれば、海のゴミをとる機械を発明する人もいる。

樹を倒す人も、植える人もいる。

 

その全ての人に共通するのは、自分や誰かの幸せを願ったり、どんな生き物よりも思考できる心を持っていること。

 

嬉しかったり、悲しかったり

誰かを憎んだりする気持ちでさえ、もしかしたら地球は喜んでいるのかも。

私たち人間の中に浮かんで消えて、見えないけど確かにある心のエネルギーを循環させているのかも。

どんな感情も、あってよくて、豊かで

それは地球の自然みたいに様々なんだろうなぁ。

 

そんなことを、ぼんやり考えました。

 

私は生き物に対しての考え方がとても幼く、青虫がカマキリに食べられていたら泣いてしまいます。

動物のドキュメンタリー番組も、草食動物が食べられるのが苦しくて見られません。

私は肉を食べるのに。

 

この感覚はとても苦しかったのですが

この、命は樹と葉の関係で

地球と命の関係だ

という考えを知ってから

すごく楽になりました。

 

青虫はカマキリになっただけで、それは葉だったのが落ちて土に還ってまた樹のエネルギーになるのと同じ。

ずっと続いていて、悲しむ必要は無いんだと。

 

亡くなった父は最近まで近くの枝に居て、見えた葉っぱだったけど、今は遠くの葉っぱか根っこになっているのかもしれない。

 

それでも私は悲しんだり残念に思ったりするかもしれない。

その気持ちが心にあっても、それも地球なんだなぁと。

 

私を大切にすることは地球を大切にすることと同じで

自分の心を心地よいエネルギーで満たしていたら(それは悲しさや怒りでも、自分がちゃんと感じられる居心地の良さがあればいい)

周りの人、世界を、地球を心地よくできるのかもしれない。

 

青虫の観察が一段落して、最近は

すごく自分が知りたい。

自分も青虫と同じくらい大切にやっと思えたんです。

青虫と比較しちゃうところが面白いけど。

 

自分がどこに痛みを感じるのか、どこに喜びを感じるのか、誰かと一緒じゃなくて良くて、私という命を感じたい、知りたいと強く思うようになりました。

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青虫の話

去年の今頃から、すごく悩まされているのが
庭のレモンに大量の青虫がやってくること。

ということで、今回は青虫について書くので
虫嫌いの人は注意してください。
でもでも、私の青虫の見方を知ったら青虫を好きになるんじゃないか、

という希望も少しもって書いています。

レモンの木をよーく見ると、とっても小さな卵があります。
アゲハ蝶は、大量に一か所に産むのではなく、あちこちに産むみたいですね。

去年は途中でレモンの葉っぱが無くなってしまい、

庭のあちらこちらで青虫が死んでしまっているのを
泣きながら見ていました。

 

「もう大人なのだから、青虫で泣くなんて・・・。」と弟に馬鹿にされましたが

青虫が蝶になれる確率は100匹に一羽です。

天敵に食べられたり、寄生虫に食べられたり。

やっと蛹になったと思ったのに、蝶にならないこともたくさんあります。

 

葉っぱがなくなって餓死するのも、自然の一つなのかもしれません。

私たちがレモンを食べたいと思うとき、青虫がつかないよう農薬がまかれます。

私の家の青虫くらい、幸せを願いたくなってしまうのです。

 

今年は、2つあるレモンの木のうちの鉢植えのほうは

早い段階で家の中に入れました。

卵が付く前に、と思ったのですが、気づいたら1匹生まれていました。

同じようにライムの木も2匹生まれていました。

 

最初、蝶の幼虫は鳥のフンのような白黒の姿をしています。

脱皮を繰り返すうちに青くなって、最後は蛹になるために育った木を降りて

蛹になるのに心地よい場所を探しに行きます。

青虫になった姿はとてもきれいで、葉をぱりぱり食べる音とか平和で

ずっとずっと見てしまいます。

青虫は天敵に見つからないよう、レモンの枝に姿を似せていて

私もたまにわからなくなります。

でもその巧妙さが素晴らしくて、なんて奇麗なのかと。

よく見ると、頭に見える部分に、古代文字みたいな模様もあります。

誰に教わったの?不思議だなぁと眺めてしまいます。

 

今年は初めて、青虫が木から降りる瞬間を見ることができました!!

木から降りる1日くらい前から、その青虫は葉っぱを食べなくなります。

排泄物をすべて体から出して、蛹になるようです。

ただしばらくじっと、枝につかまっています。

 

糞をたくさんした後、ゆっくりゆっくり、枝を降りて

鉢に到着しました。

鉢の高さは地面から30センチほどあります。

青虫は鉢を一周した後、体を精一杯伸ばしてゆっくり地面を見ていました。

人間が首を伸ばすように、下をうかがった後、ぽとん、と

地面の一番柔らかい場所、落ちた葉がたまっている場所に落ちました。

その後もゆっくり動いては止まり、動いては止まり

首を伸ばしてあたりを見回しながら

自分が蛹になる場所を探しに行きました。

 

誰にも教わっていないのに、どうして葉の上は柔らかいってわかったんだろう。

どうして育った木から降りるんだろう。

 

だいたいの青虫はどこに行ったのかわからないのですが

偶然にその青虫は、私の家の外壁で蛹になるように決めました。

 

それから2日間、見た目は青虫のまま

ずっと壁にくっついています。

2日たった後、気づいたらとてもきれいな蛹になっていました。

 

生まれたときからずっといたレモンの木を降りるときの潔さ

行ったことのない地面をただただひとり、歩いて進む勇気に感動してしまいます。

 

自然ってすごいなぁと。

なんて奇麗でかわいいんだろう、と青虫に思ってしまいます。

 

今年は1本のレモンの木を部屋に入れたので

そこまで大量に青虫は生まれず、私は泣くことはないと思います・・・(笑)

 

でも休みの日はずっと青虫を眺めて

彼らの勇気や奇麗さに感動して泣いてしまいそうです。

 

こうやって自然を感じるとき

私は小さな頃の自分に戻ったみたいで

いろんな大人の責任や考えなくちゃいけないことから解放されます。

 

今月は、高尾山に行ったり、山小屋キャンプに行く予定があります。

またいつもよりも身軽になって帰ってこられるんだろうなぁ。

 

田んぼに稲が植えられて、カエルの合唱が聞こえたり

みどりが茂って夏に向かうこの季節、私の大好きな季節です。

 

 

グレイテストショーマン

映画グレーテストショーマンをやっと観に行きました!!

 

軽くネタバレがあるかもしれないので

読む方は注意お願いします。

 

踊りと歌が好きな人ならまずオススメですね。

 

この映画、観てきた友人みんなが良い良い言うのと

ミュージカル好きだから

という理由で観に行ったのですが

 

内容を何も知らなくてよかった。

内容を知っていたら、私は多分怖くて観に行けなかったと思います。

 

this is meの歌も良かったし

ストーリーの流れもとても良かった。

 

好きだし、DVDを買って家で家族と観たいなぁ!と思うのですが

 

マイノリティの人を集めて

その人たちとショーを作る、という流れにはとてもザワザワしてしまいます。

私は観続けて大丈夫かとドキドキしました。

 

主人公のバーナムは

マイノリティの人達に居場所を与えたかもしれない。

でもthis is me が流れる場面とか

結局はバーナムもthis is me として人の前に立てる人ではなくて

団員に寄り添っているようだけど

そこには大きな壁があるんだろうなぁ。

 

ただ思うのは

バーナムも、仕立て屋のお父さんと貧しい暮らしや大変な子供時代を生きてきて

そこの傷がある。

自分を誰かに認めてもらいたいって。

必要以上に欲しがってしまう。

 

その傷を、マイノリティの団員たちは

受け止めてあげたのかもしれない。

マイノリティさて、線がひけるわけじゃなく

グラデーションだと私は思っています。

ひげを生やした女性、レティからしたら

バーナムのマイノリティさなんて軽すぎて笑ってしまうかもしれない。

でも、その傷の痛みに大小はないし

より差別されてきたレティ達だからこそ

大きな心でバーナムのことを受け入れたのかもしれない。

 

そして一緒にショーを作ることで

その楽しさは些細な違いを埋めたのかなぁと。

 

ショーの素晴らしさはさ、ほんといろんな人を笑顔にしただろうし

私も一緒に踊りたくなってしまった。

 

歌はthis is meが有名で圧倒的に好きなんだけど

 

歌手の女性が

バーナムにとても惹かれてしまうから

プロ意識に欠ける行動をしてしまうんだけど

歌がとっても良くて。

綺麗なんだけど、寂しくて冷たくて泣きたくなる。

Never Enough 

 

それから歌以外に

視覚も楽しめる綺麗な映像がたくさんでした。

 

2人の娘達の笑顔と歌声が私はとっても可愛くて。

皮肉屋の新聞記者もなかなか良い味を出していて。

登場人物一人一人にスポットライトを当てたらまた違う様々な色の物語になるんだろうなぁ。

 

自分の人生も、団員のみんなのような鮮やかさで豊かなものにしたい、人類の祝祭…うーん、地球の祝祭を感じてみたいなぁ^ ^